スピリチュアリティに対する欲求を持つ人は、世俗的で人間的な満足(すなわち、このビデオ『人間の欲求の発達』で説明される1から4の欲求段階)を追い求めている人とは異なります。私達は世俗的で人間的な欲求を満たす方法を既に知っていますが、スピリチュアリティに対する欲求が目覚めるとそれをどう解消すればよいのかもはや分からなくなります。

 

現在スピリチュアリティに対する欲求を持っている人のほとんどは、その欲求を持っていることさえにも気付きません。これらのスピリチュアリティに対する欲求を持つ人の一部は、それが非現実的で実現できないと考え、まさに「スピリチュアリティ」という言葉を軽蔑さえしているかもしれません。そのような人々は、それが彼らの中で呼び覚まされているスピリチュアリティに対するより進化した新しい欲求によるものであるということも知らずに、人生は虚無で無意味であると感じます。彼らは人生における不満と不平の原因がまさにこのことから来ているとは気付きません。

 

多くの人々は子供のころ「私は何のために生きているのか?」と自分に問いかけます。しかし私達は歳を重ねるごとに願望や欲望など野心であふれ返り、また誘惑にもまどわされたりしてこの問いかけに対する注意がそれてしまい、真の答えを見つけたいという欲求が消えてしまいます。

 

それにもかかわらず人生のある時点でスピリチュアリティに対する欲求はその問いかけと共に再び目覚めます。そしてその答えを強く求める人はカバラに導かれます。カバラとは、まさにその答えを与えるためだけに人類に授与されたものなのです。

 

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Last Updated (Friday, 24 November 2017 22:19)