カバラは今、世界中で学ばれていますが、なぜ今、これほどまでに人々の支持を得ているのでしょうか?

 

世代を超え、人類は欲求の4つの段階を通って発達してきています。

段階

目的

欲求

鉱物

形態や種を守ること

食べ物、セックス、家族

植物

成長

お金

動物

動き回る自由

名誉、支配、知識

スピーキング

高位の現実への到達

スピリチュアリティ


 

これらの欲求は各個人に内存するものですが、人類の発達の歴史の中にも見ることができます。

物質的な鉱物にとって重要なのは、その形態を守り、維持することです。人間における鉱物レベルでもそれと同じで、そのレベルで人が望むものは、人という種の存続を守るための食べ物、セックス、家族です。人類の進化の黎明期では、人々はこういった欲求を満たすためだけに生き、働いていました。洞窟に住む人々を考えてみてください。その人たちは、家族が生き続けるために狩りへでかけ、食べ物を集め、自分たちを守る住居を確保する日々を送っていました。


植物レベルでは、成長のために栄養素を吸収して排出するという植物の成長の仕方と同様のことが、人間においてもおこなわれます。人間の欲求が、社会の一員となるためにお金を得ることへ向けられるのです。鉱物レベルでの欲求は個人的なものであり、それは誰しもが持っているものでした。しかし、すでに社会という組織に属する人々と交流している植物レベルの欲求(お金)は、社会的関係性を発達させ始めます。自分と家族のために生きて働いていた洞窟居住者に思いを巡らしてみましょう。彼らは、あるとき気づいたのではないでしょうか。自分と家族の周りに柵をめぐらし、他の人々から隔て、互いの持ち物(財産)を比較することで自分たちの持ち物(財産)を定義しないといけないのだと。そして、彼らは物を交換するシステムを、後にはお金で取引するシステムを用い始めました。


動物レベルでは、あちこち動くことのできる動物のように、名誉や支配、誇り、名声、知識といった欲求により、社会の中での人間の動きが活発になっていきます。人々は人との関係の中で自らの独自性を目立たせることが必要だと感じ始めますが、それは欲求がより大きくなった証と言えるでしょう。人類の進化の絵図から、相互取引を始めた人々に思いを巡らしてみましょう。ある時点で、一部の人々はこう考えたのではないでしょうか。「私はこのシステムを支配できる」と。こうして、政府というような管理システムができあがったのです。また、人々は人よりも優れた製品やサービスを提供すること、そしてそのために努力することを誇りにしています。その後で、知識というものが、理解や支配、表現を極めていくため、また人生に意味をもたせるための手段として加わります。そして、科学や技術、文化などを通して、私たちはより複雑に発達していっているのです。


これまで述べた一連の人類の発達が一定の飽和状態に達すると、次の欲求が現れます。スピーキングと言われる欲求です。物質的な現実でのスピーキングレベルは、人間の性質の中に話す能力が備わったことを表しています。そこでは、自由選択をするかのように行動を計算する能力が拡大しています。これと同様に、人間の中で拡張された欲求である、スピーキングレベルの欲求はスピリチュアリティへの欲求として表されます。これまでの欲求とは異なり、スピリチュアリティの欲求が最終的に追い求めるものは、この物質的世界の中に描き出すことはできません。たとえば食べ物であれば、その見かけや匂い、味、雰囲気を描くことができます。同様に、セックスや家族、お金、名誉、支配、知識のレベルでは、それが満たされたり手に入れたときの感じを思い描けるでしょう。しかし、スピリチュアリティでは、それができません。私たちの物質的、肉体的感覚ではできないのです。そのため「人生の最終的な目的は何か」という問いに対して、数多くのさまざまな信念や教え、メソッドなどが、それぞれにさまざまな答えとそこへの到達方法を差し出しているのです。


「人生の意味とは何か?」という、この最終目的についての問いは、スピリチュアルな欲求を特徴づける最も基本的なものです。物質的な現実の中にいる私たちには、この欲求を満たした最終段階の絵を描くことができないながらも、最終的に今持っている欲求や感覚が与えてくるものとはどこか違う、「何かもっと高位のもの」への魅力や欠乏という欲求を感じるところへ行き着きます。別の言い方をすれば、食べ物やセックス、家族、お金、名誉、支配、知識といったものに感じられるどんな喜びにも満足できず、そこに抱くある種の不満をスピリチュアリティへの欲求として感じています。そうはいっても、いまだにそういったこの世の喜びを楽しんではいるのですが、私たちの中には何か別の「スペース」があり、永遠に続く満たしを見つけられない空虚感を常に抱えているのです。そのスペースは物質的な欲求を超えた、その向こう側にあるものであり、そこには「人生の意味とは何か?」という問いが待ち受けています。


「人生の意味とは何か」ーーカバラの知恵はまさにこの問いに答えるために作られたものです。また、何世代にもわたるカバリストたちが、人類が一斉にこの問いへ向かっていく時は、今の私たちの世代であると指し示めしています。


バール・ハスラムは『10個のセフィロトの研究への前書き』の第2項でこう述べています。


「実に、私たちがたった一つにしてとても有名な問いに答えるために自分たちの心を準備したなら、必ずやそれらすべての問いや疑問は、地平線の向こうへと消えていくだろう。そしてそれが消え去ったことを見ようとして、またその問いへ関心を向けてしまう。この腹立たしい問いは、全世界で尋ねられている問い、すなわち「人生の意味とは何か」という問いである」


私たちが生きているこの時代が昔と異なる主な点は、食べ物やセックス、家族、お金、名誉、支配、知識といったものから受け取れる満たしが限界に達していることです。そういったところからは得られないもっと大きな喜びへの欲求が開かれてしまったせいで、人類は同じ物質的欲求によってもっと多くの喜びを引きつけようと躍起になっています。しかし、どんなに食べ物やセックス、家族、お金、名誉、支配、知識の形を変えてみたり、趣向を凝らしてみたりしても、人生の本質や意味を問う感覚は潜み続け、徐々に強まっていっています。


これは、カバラの知恵で扱っている欲求であり、「心の点」と呼ばれるものです。つまり、これまでの私たちの欲求(食べ物、セックス、家族、お金、名誉、支配、知識)はまとめて「心」と定義されており、「心の点」とはスピリチュアルな欲求、すなわち人生の意味の発見へと向かう欲求のことを言っています。


だからこそ、今日この時代に、このカバラの勉強を提供する場が現れたのです。今日、人類の中で、スピリチュアリティへの欲求が発達し始めたからです。そういった人々が増えつづけ、はっきりとした答えを、つまりこの新たに出現した欲求を満たす確かな知覚と感覚を探しているのです。


スピリチュアリティへの欲求を高め、スピリチュアリティにある特質をこの時代に広げていくこと。これは、カバラの目的です。もっと高いところにある現実に到達することで、物質的な欲求では埋めることのできなかった虚しさがはびこる場所を満たし、それを味わっていくのです。

 

「カバラの知恵、今、この時代へ向けて、スピリチュアリティの特質を獲得したいという、私たちの中に成長しつつある欲求を満たすことを目的としています」

カバラは今、世界中で学ばれていますが、なぜ今、これほどまでに人々の支持を得ているのでしょうか?



世代を超え、人類は欲求の4つの段階を通って発達してきています。

段階

目的

欲求

鉱物

形態や種を守ること

食べ物、セックス、家族

植物

成長

お金

動物

動き回る自由

名誉、支配、知識

スピーキング

高位の現実への到達

スピリチュアリティ


 

 

これらの欲求は各個人に内存するものですが、人類の発達の歴史の中にも見ることができます。


物質的な鉱物にとって重要なのは、その形態を守り、維持することです。人間における鉱物レベルでもそれと同じで、そのレベルで人が望むものは、人という種の存続を守るための食べ物、セックス、家族です。人類の進化の黎明期では、人々はこういった欲求を満たすためだけに生き、働いていました。洞窟に住む人々を考えてみてください。その人たちは、家族が生き続けるために狩りへでかけ、食べ物を集め、自分たちを守る住居を確保する日々を送っていました。


植物レベルでは、成長のために栄養素を吸収して排出するという植物の成長の仕方と同様のことが、人間においてもおこなわれます。人間の欲求が、社会の一員となるためにお金を得ることへ向けられるのです。鉱物レベルでの欲求は個人的なものであり、それは誰しもが持っているものでした。しかし、すでに社会という組織に属する人々と交流している植物レベルの欲求(お金)は、社会的関係性を発達させ始めます。自分と家族のために生きて働いていた洞窟居住者に思いを巡らしてみましょう。彼らは、あるとき気づいたのではないでしょうか。自分と家族の周りに柵をめぐらし、他の人々から隔て、互いの持ち物(財産)を比較することで自分たちの持ち物(財産)を定義しないといけないのだと。そして、彼らは物を交換するシステムを、後にはお金で取引するシステムを用い始めました。


動物レベルでは、あちこち動くことのできる動物のように、名誉や支配、誇り、名声、知識といった欲求により、社会の中での人間の動きが活発になっていきます。人々は人との関係の中で自らの独自性を目立たせることが必要だと感じ始めますが、それは欲求がより大きくなった証と言えるでしょう。人類の進化の絵図から、相互取引を始めた人々に思いを巡らしてみましょう。ある時点で、一部の人々はこう考えたのではないでしょうか。「私はこのシステムを支配できる」と。こうして、政府というような管理システムができあがったのです。また、人々は人よりも優れた製品やサービスを提供すること、そしてそのために努力することを誇りにしています。その後で、知識というものが、理解や支配、表現を極めていくため、また人生に意味をもたせるための手段として加わります。そして、科学や技術、文化などを通して、私たちはより複雑に発達していっているのです。


これまで述べた一連の人類の発達が一定の飽和状態に達すると、次の欲求が現れます。スピーキングと言われる欲求です。物質的な現実でのスピーキングレベルは、人間の性質の中に話す能力が備わったことを表しています。そこでは、自由選択をするかのように行動を計算する能力が拡大しています。これと同様に、人間の中で拡張された欲求である、スピーキングレベルの欲求はスピリチュアリティへの欲求として表されます。これまでの欲求とは異なり、スピリチュアリティの欲求が最終的に追い求めるものは、この物質的世界の中に描き出すことはできません。たとえば食べ物であれば、その見かけや匂い、味、雰囲気を描くことができます。同様に、セックスや家族、お金、名誉、支配、知識のレベルでは、それが満たされたり手に入れたときの感じを思い描けるでしょう。しかし、スピリチュアリティでは、それができません。私たちの物質的、肉体的感覚ではできないのです。そのため「人生の最終的な目的は何か」という問いに対して、数多くのさまざまな信念や教え、メソッドなどが、それぞれにさまざまな答えとそこへの到達方法を差し出しているのです。


「人生の意味とは何か?」という、この最終目的についての問いは、スピリチュアルな欲求を特徴づける最も基本的なものです。物質的な現実の中にいる私たちには、この欲求を満たした最終段階の絵を描くことができないながらも、最終的に今持っている欲求や感覚が与えてくるものとはどこか違う、「何かもっと高位のもの」への魅力や欠乏という欲求を感じるところへ行き着きます。別の言い方をすれば、食べ物やセックス、家族、お金、名誉、支配、知識といったものに感じられるどんな喜びにも満足できず、そこに抱くある種の不満をスピリチュアリティへの欲求として感じています。そうはいっても、いまだにそういったこの世の喜びを楽しんではいるのですが、私たちの中には何か別の「スペース」があり、永遠に続く満たしを見つけられない空虚感を常に抱えているのです。そのスペースは物質的な欲求を超えた、その向こう側にあるものであり、そこには「人生の意味とは何か?」という問いが待ち受けています。


「人生の意味とは何か」ーーカバラの知恵はまさにこの問いに答えるために作られたものです。また、何世代にもわたるカバリストたちが、人類が一斉にこの問いへ向かっていく時は、今の私たちの世代であると指し示めしています。


バール・ハスラムは『10個のセフィロトの研究への前書き』の第2項でこう述べています。


「実に、私たちがたった一つにしてとても有名な問いに答えるために自分たちの心を準備したなら、必ずやそれらすべての問いや疑問は、地平線の向こうへと消えていくだろう。そしてそれが消え去ったことを見ようとして、またその問いへ関心を向けてしまう。この腹立たしい問いは、全世界で尋ねられている問い、すなわち「人生の意味とは何か」という問いである」


私たちが生きているこの時代が昔と異なる主な点は、食べ物やセックス、家族、お金、名誉、支配、知識といったものから受け取れる満たしが限界に達していることです。そういったところからは得られないもっと大きな喜びへの欲求が開かれてしまったせいで、人類は同じ物質的欲求によってもっと多くの喜びを引きつけようと躍起になっています。しかし、どんなに食べ物やセックス、家族、お金、名誉、支配、知識の形を変えてみたり、趣向を凝らしてみたりしても、人生の本質や意味を問う感覚は潜み続け、徐々に強まっていっています。


これは、カバラの知恵で扱っている欲求であり、「心の点」と呼ばれるものです。つまり、これまでの私たちの欲求(食べ物、セックス、家族、お金、名誉、支配、知識)はまとめて「心」と定義されており、「心の点」とはスピリチュアルな欲求、すなわち人生の意味の発見へと向かう欲求のことを言っています。


だからこそ、今日この時代に、このカバラの勉強を提供する場が現れたのです。今日、人類の中で、スピリチュアリティへの欲求が発達し始めたからです。そういった人々が増えつづけ、はっきりとした答えを、つまりこの新たに出現した欲求を満たす確かな知覚と感覚を探しているのです。


スピリチュアリティへの欲求を高め、スピリチュアリティにある特質をこの時代に広げていくこと。これは、カバラの目的です。もっと高いところにある現実に到達することで、物質的な欲求では埋めることのできなかった虚しさがはびこる場所を満たし、それを味わっていくのです。


「カバラの知恵、今、この時代へ向けて、スピリチュアリティの特質を獲得したいという、私たちの中に成長しつつある欲求を満たすことを目的としています」