友人たちの愛

記事 第3番 1984年

 

「ある人が彼を見つけ、彼が野をさまよっていたので、その人は彼に尋ねて言った、『あなたは何を捜しているのですか』。彼は言った、『兄弟たちを捜しているのです。彼らが、どこで羊を飼っているのか、どうぞわたしに知らせてください』。」(創世記37)

 

「野をさまよっている」人とは、世界を維持するための、野の作物が、生じるべき場所を示している。そして、野の仕事とは耕作、種まき、そして収穫である。それについてこう言われる、「涙を浮かべて種をまく者たちは喜んで刈り取りをする」。これは「主が祝福した野(畑)」と呼ばれる

 

バール・ハトウリムはこう説明する、「野をさまよっているロバ」と同様に、野をさまよっている人とは、本当の道を知らない、理性の道からはずれる者で、それがその人を達するべき場所へと導く。そして彼は彼が達成すべき目標を決して達成しないだろうと思う状態にくる。

 

「その人は彼に尋ねて言った、『あなたは何を捜しているのですか。』」とは「どうされましたか?」を意味する。「彼は言った、『兄弟たちを捜しているのです』」。兄弟たちと一緒にいることで、つまり、友人たちの愛があるグループの中にいることで、私は神の家に至る小道を登ることができるようになる。

 

この小道は「授与の道」と呼ばれ、この方法は私達の性質に反する。それを達成するためには、皆が自分の友を助けることができる、友人たちの愛以外に方法はない。

 

「その人は言った、『彼らはここを去りました』」。ラシはそれを、彼ら自身が兄弟関係を去ったと解釈した。これは彼らがあなたと絆で結ばれたくないことを意味する。これがついにイスラエルのエジプトへの追放を引き起こした。エジプトから解き放たれるには、友人たちの愛のなかにいたいと思うグループに入る決心をしなくてはならなく、それによりエジプトからの脱出とトーラーを受け取ることが褒美として与えられる。

Last Updated (Sunday, 20 January 2019 20:22)