コロナウイルスの明日

COVID-19が訴える世界規模での目覚め




マイケル・ライトマン




もくじ


はじめに

第1章 無関心からパニックへ

第2章 相互依存

第3章 なぜ?
進化がつながりを強化する
つながった世界にある相いれないもの
生態学的環境
自然における高度なつながり
第4章 最終的なワクチン
一つに統合された精神と感情
第5章 新しい世界


はじめに


ロックダウンの最中のイタリアで、人々が家家のバルコニーから、皆で一緒に歌う感動的な光景を見たとき、後世の歴史本で人類の進化の岐路として語られるであろう、新しい時代の入り口にいることを知りました。


コロナウイルスは、私たちの生活を急襲しました。私たちの不意をつき、迫り来る自己発見とこれから起こることを洞察する間を与えませんでした。


ウイルスの容赦ない蔓延に直面し引き起こされたパニック、それに対する無力さ。当初、それによって示されたのは、新しい世界の誕生でした。近年、このウイルスほど私たちの生活を混乱させた現象はありません。目に見えないほど極小の粒子が、グローバルな社会経済のインフラを阻害して、ほぼ終わりのない状態で、私たちをそれぞれの家に隔離しています


かつては、テロや世界大戦、核戦争が私たちを脅かしていましたが、ウイルスにはどんな交渉も協定も通じないため、今、私たちは途方にくれています。


私たちが突入した世界的な緊急事態は、個人や州レベルだけでなく国境や文化を越え、深い内省を呼びかけています。ウイルスによる変容の程度と影響は、目下私たちの推測の範囲を超えています。しかし、新しい時代の幕開けは確かに世界中で感じられているのです。


本書『コロナウイルスの明日〜COVID-19が訴える世界規模での目覚め』は、私が40年以上にわたり研究し、教えてきたカバラの知恵の観点から、人類が突入した新しいプロセスを検証していきます。私はカバラに、人生で直面するあらゆる難題にある根本を見つけています。『ゾハールの書』の解説書、『スラム』(『梯子(はしご)』)を著したことから「バール・ハスラム」(ヘブライ語で「梯子のマスター」)とも呼ばれる、20世紀最大のカバリスト、イェフダ・アシュラグ(1885ー1954)。その息子であり弟子であるカバリスト、バルーフ・シャローム・ハレヴィ・アシュラグ(1907ー1991)、通称「ラバシ」から、私はこの知識を得ています。


「今ある状況に現れる負の力が人類を進歩させる元となる。それらを通して、人類は梯子の一段一段を登る。務めを遂行するに信頼のおける負の力が、人類を最も望ましい進化の最終段階へもたらし、あらゆる醜行や欠点を浄化するのだ」バール・ハスラム著「国家」より



第1章 無関心からパニックへ


イスラエルにいる私が、コロナウイルスのことを最初に耳にしたのは、遠く離れた中国でウイルスが大流行している、というニュースでした。私たちの生活に劇的な影響を与えるとは思いもよらず、ニュースは次の話題へ移っていきました。


まず、アジアの数カ国から到着した渡航者が自己検疫の対象となりました。その後、東方面など世界のほかの地域へもフライトがキャンセルされ、指定国からの帰国者は自宅で検疫期間を過ごすことが義務付けられました。しかし、それでも、それが私たちにとって何を意味し、何が起こっているかについては、まだ見当もつきませんでした。人々が懸念していた主なことは、中国に発注している多くの製品がどうなるのか、ということでした。


遠い中国というところで起こっている伝染病が、すぐさま世界的な大流行となり、私たちを攻撃してくるなど誰が考えたでしょうか。 多くの人が、世界の一部で起きた小さな揺れがほかの地域に影響を与えるバタフライ効果について、聞いたことがあると思います。しかし、私たちはその概念をどこか比喩的および哲学的なものに結びつけていたのです。


パンデミックの第一段階では、ウイルスが世界的に拡大し大惨事になるなどとは、まだ思ってもいなかったため、権威的な措置は過度であると考える人もいました。コロナウイルスはインフルエンザほど命にかかわるようには見えませんでした。死亡率は比較的低く、主に身体的に弱い人たちに害を及ぼしていました。そのため、一般市民の行動の自由を制限するべきか否かがはっきりしなかったのです。


次の段階では、パンデミックの蔓延(まんえん)が加速し、突如、感染者と死亡者の数が急増。恐怖や不確かさ、不安、パニックが社会を襲いました。ロックダウンの脅威がよりたくさんの国で現実的となり、多くの人が迷い始めました。


当然のごとく、私たちの基本的な生存本能が誘発されました。人々はスーパーマーケットを急襲し、その棚を空にして、自分の家に備蓄しました。トイレットペーパーがなくなりました。卵を目にしなくなりました。一方、ソーシャルネットワークは、不安を覆い隠したいつわりのジョークであふれていました。


急に皆を疑うようになりました。保健省のガイドラインを厳守しているのか否か? どこにいたのか? 何と接触していたのか? 衛生状態に細心の注意を払っていたか? また、くしゃみや咳(せき)をしようものなら、それは公衆衛生を脅かす危険要素になってしまうのです。


国の指導者たちは、気づけば昼夜を問わず議論をしてあたふたし、経済の崩壊を招くことなくウイルスの蔓延を阻止することに焦点を当てていました。昨日までの論争や社会的亀裂、さらにはテロや核の脅威。そういった問題すべてが、地球規模の新たな問題を前に徐々に消えていったのです。


それまで私たちは、どんな車を買おうか、次の休暇にはどこへ旅行しようか、今年流行のどんな靴を自分のファッションアイテムに追加しようかといったことに頭を絞っていました。ところが、コロナウイルスの世界的な広がりが、即座に私たちを新しい現実へ取り込んだのです。そして、どうやって基本的なニーズを満たせばいいか、という深刻な問題に直面しました。


来週も食べるものはあるのか? 出荷は止まるのか? 幸運にも解雇されなかったとして、どれくらい長く雇ってもらえるのか? もし明日、食料品や家賃、住宅などのローン、借金を支払う余裕がなくなったらどうなるのか?




第2章 相互依存


かたわらから自分たちを見てみれば、抗しがたく威圧的な自然に比べて、私たちがいかに小さく弱いかを、コロナウイルスがあらわにしているのがわかります。サメのごとく自然が口を大きく開けている様子に、私たちはその顎を見て後ずさりしているのです。


さらに、コロナウイルスは、否定的ではあっても、私たちの固く結びついた相互依存を明らかにしています。なにしろ、握手したり同じスペースで過ごしたりという、ほんのわずかな接触から互いに感染します。その瞬間、悪気がないにしろ、保健省のガイドラインを露骨に無視しているにしろ、無責任にも周囲の人に病気を移してしまうことになるのです。


世界中の人々と簡単にコミュニケーションしたり、オンラインショッピングをしたり、しょっちゅうあちこちへ飛行機でフライトしたり、さらにはあらゆる場所の出来事を、一語ずつ随時更新したり。21世紀になってから、私たちはそういうことに、すっかり慣れ親しんでいました。しかし、つながりがこれほどまで強くなっていることは、想像できませんでした。私たちの間に作られた結びつきをほどくことは不可能です。


コロナウイルスは、遠く離れた場所の誰かの問題が、すぐさま自分たちの問題になり得るという事実を明らかにしました。近年、政治家や経済学者、国家元首は、私たち人類がいかに皆同じ船の上にいるかについて話し始めていました。それが、突然のパンデミックへの突入とともに、グローバルな相互依存の概念として具体的な現実となったのです。


確かに、コロナウイルスは、私たちの間で生きて呼吸し、相互に影響し合うネットワークを際立たせました。こういったネットワークはウイルスの出現前にもありましたが、それに気づかず気にせずに、日常生活を送っていました。


「相互依存は世界中のすべての人の前に、前代未聞の方法でさらけ出されてくる」と、前NATO(北大西洋条約機構)事務局長のハビエル・ソラナ氏は10年近く前に、バスク大学のダニエル・インネラリティ教授との共同執筆である「The New Grammar of Power(権力への新しい手ほどき)」という論文で述べています 。この記事でソラナ氏とインネラリティ教授は、広大な範囲の相互依存関係について、かなり詳細に論じています。そして、いかに私たちが相互依存関係にあるかを認知するには、互いに対する態度を根本的に変える必要がある、という重要な結論を導き出しました。


「気候変動や核エネルギー・核拡散のリスク、テロの脅威を考えてください。(中略)政情不安による二次的な影響、 金融危機による経済的影響、伝染病の流行(社会的流動性と自由貿易の拡大に伴いそのリスクも増加)、メディアによってあおられるパニック。(中略)完全に孤立しているものは何もありません。(中略)他人の問題は今や自分の問題であり、私たちはもはや他人に対し無関心でいられません。すなわち、そこから個人的な利益を享受することを望むようになります。(中略)私たちは、自己利益や国益よりも、皆にとっての共通の善悪で構成されている世界で、権力の新しい原理を学ぶ必要があります」



網目状につながった組織に生きている私たちに、法律や法令が迫り始めました。保健省は最高の立法者となり、新しい規則が設けられました。まず、直接の接触が禁止されました。その後、互いに少なくとも2メートルの距離の確保、マスクと手袋の使用、COVID-19の保菌者と密接に接触した場合の自己隔離、という指示が出されました。そして、徐々にロックダウンへの過程をたどっていったのです。


日がたつにつれて、入院患者の数が急増し、医療システム崩壊の懸念が生じました。あらかじめそのような状況を想定する余裕はありませんでした。そして、この状況が私たちへ気づきを与えたのです。ウイルスの急速な拡大を制限するには、私たち個人個人が相互に責任を持って行動することだけに可能性がある、ということを。


コロナウイルスが現れる前の世界では、相互責任など「汝(なんじ)のごとく汝の隣人を愛せ(周りの人を自分のように愛しなさい)」のような、ありきたりの心地よいスローガンのように聞こえていました。そうであるとよいと思いながらも、誰もがそうなるとは予期しない価値だったのです。戦闘部隊の兵士は、生き残るためにそういった関係を維持するよう訓練されますが、軍事組織以外では、相互責任は観念的な理想とされていました。


コロナウイルスはすぐに、「相互責任」という言葉が素晴らしい意味の組み合わせ以上であることを明らかにしました。誰もが誰かを感染させる可能性があるため、私たち皆が相互に責任を負う義務があります。それを好むかどうか、理解しているかどうかにかかわらず、無責任な振る舞いをする人が他者を打ち倒し、すべての人を危険にさらす無限の連鎖を引き起こすのです。


多くの国で、COVID-19と診断された人々が公にさらされ、その人たちの行動履歴が疫学調査の対象になりました。そして誰もが、そのときその場所にいたかどうかを確認するよう要求され、もし該当するなら、自己隔離して、それを関係機関に報告しなければなりません。このように、コロナウイルスは全住民に対し、個々および相互に責任を与えました。ウイルスが拡散していく様を通して、グローバル時代における各個人は、誰であろうと多大な影響力を持っていることを教えたのです。


時間が経過すればするほど、制限が厳しくなり、世界が静止し、通りが空になりました。そして、次に何が起こるのか?  このパンデミックはいつ終わるのか?  この状況の全原因は?  なぜ私たちはこんなことになっているのか? といった問いが浮上してきたのです。



第3章 なぜ?


私たちが家に閉じ込められている間、人類による自然破壊から神に対する罪まで、ウイルスの原因についてのさまざまな理論が、ソーシャルメディアに投稿され、広まりました。世界中の人々が、完全に不意をつかれたこの身のすくむような現象について、原因の説明を求めています。


コロナウイルスはなぜ発生したのかと、そのまま尋ねるのは、あまりにも子どもじみているかもしれません。パンデミックは何も新しいものではなく、哲学的、神秘主義的、宗教的だとして簡単に却下でき得るものだからです。例えば、1918年のスペイン風邪や歴史を通して発生した多くのパンデミックでは、ある一定地域を完全に壊滅させています。しかし、カバラの知恵が説明しているように、この状況を自然法則の理解という観点から見るなら、私たちの生活の中で展開していることに光を当て、新しい考え方を照らし出すことができます。


個人から社会、人類、自然全体の創造と進化を研究しているカバラによると、相互依存というシステムは、健康や感情に関すること、および社会的、経済的、生態学的なすべての問題の背後にある根本的要因です。


コロナウイルスが発生した背後にある原因を、生物学的な研究によって突き止めることは可能でしょう。しかし、そのような研究で見落とされるのは、いかなる生物学的原因も、依然としてより根本的な原因の結果にすぎないということです。


コロナウイルスは謎かけゲームのようなものです。この謎解きは、まさしく人間の進化の次なるレベルへの招待なのです。



進化がつながりを強化する


世界に対する私たちの理解は、人類が進歩するにつれ、自然法則も発見されていく、という事実からきています。古代世界では、特定の石から鉄や銅へとさまざまな金属に加工する方法、そして各原料からパンやワインといった食品や飲料に変える方法を考え出しました。


その後、科学者は物理学や化学、生物学といった科学で自然の基本要素を説明するため、重力やエネルギーの法則、各原料におけるエネルギー作用といった、さまざまな法則や理論を定式化しました。新しい法則や理論の発見は、それまで広く受け入れられていた古典物理学に対するアインシュタインの相対性理論など、しばしば既存のものに対する異議によってなされてきました。


私たちの発達や起こることのすべてが、自然の法則の中で繰り広げられています。自然がどのように、なぜ機能しているかを知れば知るほど、コロナウイルスのパンデミックを含む、この世で起こる多くの現象について理解が深まります。


カバラの知恵では、自然のさまざまなレベル間にあるつながりを重要視しています。それはバール・ハスラムが記事「自由」で説明しているとおりです。


「私たちの目の前にある現実には、各要素それぞれの間に全体的なつながりがある。(中略)つまり、鉱物、植物、動物、スピーキング(*)という4タイプからなる世界のあらゆる生き物は、原因と結果の因果律に従っている。(中略)これは、少しの偏見もなく、純粋な科学的観点から自然のやり方を吟味するすべての人にとって明白である」

(*)訳注:カバラでは、欲求を無生物(鉱物)、植物、動物、スピーキング、そしてスピリチュアルと5つの発達レベルに分け、現段階の人間(人類)は動物レベルに含まれる。スピーキングレベルとは受け取りたいという意志が頂点に達した人間のことで、カバリストとも言われる。


実在するもの一つひとつがすべて相互に関連し合い、あらゆる動きが体系化された影響を及ぼします。さらに、進化を通して、実在の各部はますますつながりを複雑化します。進化とは、共同作業に基づき、分離した個々の要素を複雑な生命体へといたらせる、生物の発達過程です。そうして、化合物と化合物がつながることで、生きた細胞が進化しました。その後、植物および動物レベルで多細胞の生命体を発達させるために、生命はより多くのつながりのある基本単位を形作っていきました。


人類もまた、このつながりを増やしていく流れに従って進化しています。約100年前までは、人々は主に自分が育った物理的な環境につながっていましたが、現在の私たちはもっと幅広い環境につながっています。開発・発展していきたいという願望が、人や地方、国の間のつながりを可能にする手段の創出へ導いていったのです。電車や電信、ラジオ、電話が遠い場所にいる人と人とをつなげ、インターネットにより、誰もが手早く簡単につながれるようになりました。このつながりへの動きが、世界をより小さく、より身近にさせたのです。


進化論の生物学者で未来主義者のエリザベート・サートゥリス博士は、進化がいかに自然を多様化と個別化に向けて後押ししているかを説明しています。そしてそのたびごとに葛藤を起こし、やがて共同作業によって、より高度なレベルでのつながりを成立させることで解決するとしています。したがって、世界が小さな地球村になる過程をたどったことは偶然ではありません。それは、より強く広くつながった形へいたるという、文明の進化の自然な過程なのです。


カバリストは、このつながりを増やしていく発達過程をこう説明しています。自然の法則、つまり自然のシステムで機能する全体的な力は、より高度な連結(リンク)と情報通信網(ウェブ)を作ることで、より相互に結びつく。


『ゾハールの書』の特殊な言葉では、トルドット(Toldot:世代)の部分で、この過程は次のように述べられています。


「人の体は臓器に分かれ、すべてが段階を越えた段階で臓器の上に臓器を作り、それらすべてで一つの体となる。同様に、世界、すなわち世界の全創造物も臓器の上に臓器がある多臓器であり、それらすべてで一つの体である。そして、各臓器すべてが是正されたとき、確かに一つの体となるのだ」


今日、世界はある種の「超生物」として、一つにつながった実在である、と口にする科学者はますます増えています。そして、コロナウイルスによって照らし出された相互責任が、この超生物の存在を確かなものにしています。人間を含む自然の各部は、無数に結びつき、相互に関連しているのです。


世界は変わりました。それぞれがほかから孤立して動く個人主義の世界から、生態学的、経済的、政治的、社会的に賢く健康的で、相互に関連し合い統合された世界、皆が不可欠なグローバル世界へと移行しています。


グローバルとは一つ、つまり全体のことです。


統合とは相互のつながりを意味し、各部すべてが例外なく依存している状態です。


私たちは、グローバルで統合された状態をまだ我がものにしていませんが、私たちがそのシステムに存在しているという事実は変わりません。


自然界はすべてがつなぎ合わさっています。このつながりの奥深さは、カバラの知恵を通して自然の完璧なシステムを研究するにつれ、解明されていきます。このシステムではつながりのネットワークがますます強くなり、その中で生活を維持し続けるには、私たちの考え方や行動に変化をもたらす必要があるのです。


つながった世界にある相いれないもの


コロナウイルスというとても小さな生物学的物体が、人生の出世競争の真っただ中で、そして進んだつながりの頂点で私たちを捕まえました。私たちは多文化社会に生き、世界経済を発展させていました。地球上を自由に移動し、このつながりが中国に現れた小さなウイルスを世界的な大流行へと激化させたのです。


進化には、すべてを一つに統合し、補完し合い、より複雑につながるよう自然の各部を導く、という傾向があります。しかし、それとは異なり、人間にはもともと、その反対の法則で機能するメカニズムが内在されています。このメカニズムは分離を好み、個人の幸福が全体の幸福から来るシステムの一部として、自分を知覚することを許しません。


このメカニズムはカバラで「エゴイズム」と定義されており、多くの層から構成されています。 エゴイズムの最も基礎的な層では、常に自分が持っているものや成し遂げたことで他人と比較します。私たちの根強い野心が、家や車、キャリア、子ども、年収、経済的・社会的地位ほか、多くの要素で、他人よりもよいと感じたいからです。


その結果、バランスの取れた生活を送れればよし、そのために体が求めるものを手にするだけでよし、とはならなくなり、身体的ニーズに加えて、個人的な利益のために他者から搾取する傾向が高まります。だから、私たち人間はほかの生物とは異なり、資源や環境をアンバランスに使用しているのです。


「エゴイズム(利己主義)には、己を使うことで己を狭めていく性質がある。自分がより楽に生きるために、多かれ少なかれ、憎しみや他者から搾取する性質を獲得するように強要されるからだ。また、それは抽象的な憎しみではなく、自分の利益のために友人を虐待するという行為に現れ、裏切り、窃盗、強盗、殺人という、段階に応じた荒くれたエゴを育てる。これは「狭いエゴイズム」と呼ばれる」バール・ハスラム著、「国家」より。


このメカニズムは国際レベルにも現れています。領土や資源、人々を支配し搾取したいという願望は、最大級といえる歴史的な戦争の背後にあり、それがこれまでの帝国すべてを形成し破壊してきたのです。


より質的につながろうとする自然の力と、個人やグループ、 国家、帝国といったほかを犠牲にして己の利益を主張する、私たちの内面にあるエゴイスティックなメカニズム。私たちは進化するにつれて、この2つの相反する力の引き合いを感じていました。


私たちをさらにさらにとつなげるよう押し進める相互依存の力と、反対方向に引っ張るエゴイズムの狭める力。今の時代に特徴的なのは、その2つの力にある非常に強い緊張です。


コロナウイルスの襲撃以前、私たちは崖っぷちに立っていました。緊迫した国際関

係、悪質な貿易戦争、核戦争への不安の高まり、周期的に世界中の罪のない人々を殺傷するほぼ日常的なテロ攻撃。これらの現象だけでも、もはや自分勝手な生き方は、相互依存のシステムの中で生きるには適さない、という警鐘になっていたはずです。何かを変えなければ、システムが崩壊してしまうでしょう。


生態学的環境


身の回りのすべてに対する私たちの利己的な態度は、多くの生態学的な損傷をもたらしました。隣人と張り合い、もっと裕福になり、より高い社会的地位や強い権力を持って、ほかの人間を支配したいという、私たちそれぞれが持つ願望。それが、天然資源を嫌というほど利用する激烈な競争へ導いたのです。


今日、生態系への破壊的な影響が、生態学的にいろいろと報告されています。その明白な証拠から、私たちはこの事実をさらによく認識するようになりました。しかし、それは問題の核心ではありません。


なぜでしょうか? 核心は、自然を搾取しようとする私たちの態度が、自らの利己的な関係の結果であること、各自が他者より勝りたいと望んでいることにあります。エゴは周りのすべてのものを自分たちの目的を達成する手段として見せ、鉱物、植物、動物、人間という自然の一部としての視点を狭め、ゆがめます。


しかし、自然はその各部すべてをつなげる統合システムであり、その中で各部に主導権はありません。人類が組織的・相互的な補完を必要とするこのシステムのルールを遵守できないと、そこにある不一致が、地震やハリケーン、イナゴの異常発生、COVID-19など、あらゆる形と段階に現れます。


したがって、コロナウイルスのワクチンや治療法を見つけたら問題は解決すると考えているなら、それは間違いです。全体像を見ることができず、今までやってきたような搾取的行為を続けるのなら、たとえ今のウイルスに対する解決策が見つかったとしても、より強力なウイルスが現れるか、自然によるほかの打撃が続いていくでしょう。


つまり、私たちは人間のつながりの性質を捉え直す必要がある、ということ。なぜなら、私たちは自然の中の、最も発達した存在だからです。私たちのつながりをアップグレードすることは、自分の周りのすべてに対する態度に影響を及ぼします。そして、あらゆる分野で利益をもたらすのです。



自然における高度なつながり


人間の意志の力にある価値の大きさ、および現実の中で人間がいる段階がいかに重要であるか。これらは、トーラー(カバラ)の秘密を通じて、まだ世界に明らかにされていない。そして、この明かしは、全科学に冠たるものとなるだろう」 ラブ・アブラハム・イサック・クック著、『オロット・ハコデシュ』(Orot HaKodesh:神聖なる光)より。


自然のさまざまなレベル間のつながりは、私たちの認識をはるかに超えています。自然にある全構成要素は相互に作用する形態で存在しており、自然とは全体的な力の場です。そのシステムでは、物理的、化学的、生物学的なものから、思考や欲望まで、さまざまな力が働いています。システムの力が質的であるほど隠されて目立ちませんが、強い影響力を持ちます。


自然の力は各部に補完性を求め、それと一致する程度に応じて、態度や思考、欲求はシステムから反応を引き起こします。したがって、思考や他者に対する態度、隔たり、つながりなど、すべてが自然のシステムに影響を与えます。その影響は私たちの社会的関係性を超えて、自然のすべてのレベルで波紋のように広がります。どうしてでしょうか? それは、システムは統合され、相互につながり依存し合っているからです。


カバラの知恵は、人間が互いに傷つけ合うとき、その否定的な関係が自然のシステム全体に影響を与えることを長らく明かしてきました。つまり、たとえ何も害のある行動をとらなくても、他者に危害を加えようとする思考と欲求そのものが、すでにシステム各部の相互的な補完性を壊しているのです。理解しがたいかもしれませんが、私たちの思考と欲求は、自然に計り知れない影響を与えています。


しかし、理解する準備ができているかどうかに関係なく、進化の車輪は回り続けています。進化はシステマチックに作動し、私たちの以前のつながりを切り離して、新たに21世紀のグローバル世界に適合する、より進んだ統合したつながりを作るよう、私たちに強制してきます。


コロナウイルスの出現は、私たちの間にある相互依存と相互責任をより明確にしました。国境や距離、経済状況などのあらゆる違いを無視して、人から人へ、国から国へと、いかに簡単に移っていくかを示したのです。


また、自然の法則を自分たちのいいように操作しようと考えているなら、それは明らかに間違いです。自然には私たちよりもはるかに強い力と厳格なルールがあります。それを理解し、そのルールに応じて行動するとき、自宅での監禁状態から出て、私たちは新しい現実に入ることができるでしょう。


第4章 最終的なワクチン


「一人ひとり、あらゆる個人が、自分の利益と集団の利益はまったく同じであると理解するだろう。その中で、世界は完全に是正される」バール・ハスラム著、「世界平和」より。


私たちのエゴイスティックな関係性は自然のシステム全体に害を及ぼしています。しかし一方で、それを知れば、世界が罹患(りかん)しているすべての病気を最終的に治療するには、何を修復すればよいかを厳密に特定できます。自然界で最も重要な力は人間のつながりです。私たちがプラスの関係性の築き方を学べば、自然の全レベルにある相互補完性をそのシステムに影響させられます。


人間の思考が経験すべき変化の本質は何でしょうか? 私たちに必要なのは、エゴの箱の外で考えるという、新しい方法を用いることです。統合された自然の思想の線に従う思考法です。個人というものを、切り離された独自の存在から、全体を網羅するウェブ(網)の中で相互につながれた一部と考えるよう移行させる、ということです。


自分のことだけを考えるのは、時代遅れとなりました。相互依存の世界には似つかわしくありません。狭く自己中心的なものの見方では、人々の健康と幸せも、世界に対する最善の施策も約束できません。


相互依存システムでは、皆が皆に影響を与え、依存しています。したがって、皆の健康と幸せを約束するために、配慮すべき点を自己の利益から共通の利益へと、置き換える必要があります。1940年代までさかのぼりますが、バール・ハスラムは自筆の記事「世界平和」でこの点を明らかにしています。


「我々の世代において、一人ひとりの幸せのために全世界の全国家が手助けするとき、各個人はその程度に応じて機械の歯車のような全世界の奴隷になる必要がある。したがって、個人に善行や幸福、平和をなすには、全世界の全国家がそうではなければありえず、逆もまたしかりである」


コロナウイルスのパンデミックは、私たちのつながりのネットワークにおける非常に重要な教訓を与えています。私たちはこのつながりのシステムを共有していて、その一部として、もっとバランスよく生活するようにと、皆を後押ししてくれているのです。そして、私たちが今まで通りに生き続けるのは不可能なことを示しています。私たちは自分たちの行為と態度を、人類と自然を単一の統合システムとして受け入れるように、大きく変化させる必要があります。その中で、私たち皆が異なる細胞・臓器として生きるのです。簡単に言えば、私たちは皆、相互に関連し、相互に依存しているということ。文字通りすべての人を世話しない限り、私たちは生き残ることができません。


自然の進化の過程を理解し、それに対して私たちの関係性を早く適応させるほど、この先の未来に潜在する苦しみを避けることができます。しかも、もし今回の教訓を学ばなければ、次に来る打撃はコロナウイルスよりも強くなると予想されます。


「我々自身と政府のために、発達の法則を用いるがよいだろう。それが、発達の歴史が私たちのために、この先に用意したあらゆる苦痛や苦悩を取り除くことになる」バール・ハスラム著「世界平和」より。


一つに統合された精神と感情


一つに統合されたシステムでは、どう機能するのが最適なのか。それを理解するために、人体を見てみましょう。各臓器は、体全体をよい状態に保つように機能していますが、突然、そんなことはお構いなしに、すべての臓器がしたいことは何でもすると決めた様子を想像してください。その状態では体は存続できず、すぐに状態が悪化して死んでしまうでしょう。全体を最良に機能させるには、精神と感情を新たに統合する必要がある、ということです。


そのため、世界的なパンデミックといった現象に対する究極のワクチンに必要なのは、自然の法則に私たちの関係性を適合させることです。つまり、コロナウイルス時代に求められる個人および相互の責任を、日常生活におけるつながりの法則とするのが賢明だということ。


さまざまに異なり、矛盾さえしている個々人の間のつながりを、健全な状態に編み上げていく。その方法を理解することが、人間の進化の次なるレベルです。自然の法則にぴったりの関係性を築くには、一人ひとりが他者とのつながりを深めていくことが求められます。互いを助け、補完し合うためにできることを知るには、互いの欲求を敏感に感知するセンスが必要です。ややこしいこと極まりないですが、それができれば誰しもが、今日の個人的な利益でさえ、新しい知覚への過渡期にあることを感じます。


他者を感じるセンスを高めると、個人的なことはもちろん、他者の健康と幸福を知覚できるようになります。そうして、物事を見る力が拡大し、自分と他者を一つとして全体のための共通の利益を考慮するようになります。その結果、現実を知覚する方法が変化します。可能性の世界の扉が開き、以前は私たちの知覚が届かなかった世界が広がるのです。


そのように進んだ世界で、それぞれが独自の特性をささげる意図をもって世界と関わります。 私たちはそれぞれ、他者を切り離した個人的な利益のためではなく、全体の健康と幸福のために、自分の個性や特異性を見極め、用いていきます。そして、周りをより広く感じ、それを自分の中に取り込み始めます。すると、互いにつながって、皆が感じ、考えていることを感知できるようになり、知覚と感覚を拡大して、より高度な社会的存在になっていくのです。 互いにより積極的につながるように、インスピレーションを働かせ、励まし、サポートをして他者に影響を与えるほど、私たちは成長してアップグレードされた人間となります。社会における私たちの価値が高まっていくのです。


私たちにある相互の依存と、相互のつながりを自覚すること。それはネットワークから私たちへ、私たちからシステムへと及ぼす影響や、全体の健康と幸福について考えることで得るものを、私たち一人ひとりに理解させ、感じさせます。そして、より相互依存が不可避であることがわかるようになり、健康や社会、経済、政治の分野に相互依存がどのように現れてくるかを知るようになります。また、何がシステムに害や利益をもたらすかも正確に定義できるようになります。人生で得る成功のあらゆる定義が甚だしく移り変わっていくのです。


その結果、今後は互いのことを思いやり、相互に責任を持つ存在になる、という展開が期待されます。それによって、意識を個人から集団へと移行するのに役立つ、新しいツールが作られていく様を見るようになるでしょう。そのツールは、私たちが新しい態度をとる練習をさせ、他者の欲求や思考をより深く理解し、感じるにふさわしくなるよう助けてくれます。


私たちの関係性の質がかなり高められたとき、まったく新しい安心感や自信、幸福、活力といった感覚を、皆が得ることになります。周りの人々に利益をもたらし、助け、励まし、インスピレーションを与え、精神を高めようとする気持ちは、自分自身の欲求にかかりきりになっている状態や、個人的な事情、自分の将来に対する不安から、徐々に私たちを解き放ちます。心が個人的な関心事から自由になるとき、私たちは自分たちにあるもっと広い可能性を知ることになるのです。


この完璧に描かれた現実は、ユートピアのようで甘い考えに感じるでしょうか? 確かにそうかもしれません。しかし、考えてみてください。コロナウイルス以前に、じきにほぼすべての飛行機が飛ばなくなり、世界経済の大部分が停滞して、世界中の人々が家に閉じ込められると言ったなら、それがどれほど妄想じみていたかを。





第5章 新しい世界


「この惑星は我々皆を養い育てるのに十分豊かである。だから、なぜ何世代にもわたって生活に影を落としてきたこの悲劇的な戦争で死ぬ必要があるのか?」バール・ハスラム「国家」より


コロナウイルスは私たちを家に隔離し、どうやって違う世界が現れるのかを私たちに見させました。パンデミックへの準備がなかったのは明白です。衝撃を受けましたが、時がたつにつれて、多くの人が家族に囲まれて過ごすことに、改めて魅力を見いだしました。


たくさんの人が、消費文化の中で失われた家族というものを味わっています。家族と一緒にたくさん笑って、ゆっくりと時を過ごし、愛する人々が言うことに耳を傾け、心配事や希望、苦しみといった気持ちを分かち合っています。


しかし、コロナウイルス以前の世界が、遠くからいたずらにウインクするかのように、全力で戻ってこいと脅してきます。このとき、私たちは一生に一度の特別な機会を与えられ、自分の内面を見つめていきます。そして、過ぎし日の生活に本当に戻りたいのかどうかを吟味するのです。


コロナウイルス以前の世界は、私たちや子どもたちの要求によってではなく、人間のエゴイズムによって形成された経済システムのルールによって構築されていました。朝から晩まで働き、疲れきっていらいらしている一日の終わりに子や妻(夫)に対応する、というのが社会の標準でした。そうでなければ、重荷となっている家計費をやりくりすることはできなかったでしょう。


今日の経済の基盤は消費至上主義にあります。積極的に物を生み出し、マーケティングし、最終的に消費させます。そこにある目的は、利益を増やし、市場を拡大し、より商品を洗練させることで消費者からさらに搾取することです。


消費主義が私たちに新車を購入させ、キッチンや家をリノベーションさせ、持て余すほどのシャツやジャケット、ドレス、靴などを買わせました。また、飛行機で外国へ行ったり、レストランへ出かけたりする機会をどんどんと増やしました。私たちはそれを人生の喜びとして気分を高めることにすっかり慣れ、それらで人生を満たせば満たすほど、自分は成功していると思えたのです。


自らを奴隷化した消費システムに従って、物質主義的に立派な地位を手に入れるという名のもと、私たちは懸命に働き、たくさんのお金を稼ぎ、楽しむことに身をささげてきました。世界で最も美しい場所で休暇を過ごしては、出世争いに戻っていったのです。


そして、すべてが凍りつきました。


賢く育てと子どもを厳しく教育する母親のように、自然はコロナウイルスという強硬手段をとり、こう言っています。「やっていることすべてをやめなさい! 部屋へ行って、座わり、 何をしているのか考えてみなさい」と。自分で自分に引き起こしているあふれるほどの害を知らないのか? このままやり続けるなら、最後には悲惨なことになり、人生がもっとひどく困難になるとは思わないのか? 本当に必要なものとそうでないものについて、真剣に考えてもらいたい。不要なものはすべて取り除いてもらいたい。また、私があなたたちを部屋の外へ出したときには、あなたたちの世界とあなたたち自身に、もっとよく関わってくれることを願っている」。


このウイルスは私たちを変化させつつあります。それは津波のように私たちを襲い、私たちの生活の中に蓄積していた汚れをたくさん洗い流しました。人生で本当に大切なものは何か? 真に生きたいと望む世界とは? 利益をあげよ、あげよと追い求めることの欠陥とは? 私たちを真に満足させ、幸せするにはどんな人間社会や経済を組み立てればよいのか? こういったことを真剣に考え始める人が増えているのです。


私たちの古い枠組みでの「神聖な」価値は、機械を回し続けるために可能な限りものを生産し、消費し、捨てることでした。喧騒(けんそう)や雑踏から一息つくことを余儀なくされた今、もっと有意義なことをする余地が開かれています。


私たちはもっと質的に、温かく、愛情をもってつながるための時間と空間を与えられました。


家族とより深くつながったり、周囲の人や友人をもっと気にかけたり、生活の中で起こっていることを聞いたり、ということができるようになったのです。


私たちは今、考える必要があります。幸せを分かち合えるようにサポートするシステムで、プラスの関係性の世界、住みやすい世界を構築するにはどうすればいいのか。破滅的な競争と私益をなくしたときに、メディアや政治はどうなるかを、少しの間、想像してみてください。


これは夢物語ではありません。今の状況では、それしか選択の余地がないのです。


私たちのつながりの質を高めることは、自然の発達過程において、自然が私たちに課した必要条件であり、私たちは何らかの方法で、それに適合しなければなりません。自然の法則を理解できず、それに反する行動を続けるなら、コロナウイルスで起こったことと同じく、自然の完全性に順応するよう強いる反動がきます。


根本的に新しい世界とは、他者を自分自身として、それぞれが関係し合うことを学ぶところです。


当然のことながら、そのような関係性は私たちの本質を超えています。だからこそ、カバラの知恵、つまり「つながりのメソッド」が私たちの世代で明らかにされたのです。ただし、これについて、今ここで詳しく論じることはできません。


本物のつながりが私たちの目指す最高の価値になり、私たちは互いに思いやり、責任を持ち、支え合って、愛のある関係をはぐくんでいくことを学びます。すると、自然にはその関係性と同じ方法で現実を動かす力があることを感じるようになります。 それは、歴史を通して、人々が人生をかけて探してきたものです。私たちはそれを「神」や「宇宙」、「自然」ほか多くの名前で呼んできましたが、それが実際に何であり、どこに存在するのかを知ることはありませんでした。


しかし、今や私たちは、それがつながりと愛の力であり、生命の源であると気づくことができます。この力は天にあるものでも、私たちの想像の中にあるものでもありません。それは、互いに対する態度を強化して、新しく築いていく、プラスの関係性の深いところに満ちていきます。


私たちは皆で、その一歩を踏み出すことができます。皆が一つになり、一緒に進むときだけ、それが可能です。振り返ってはなりません。互いに敵対する古い世界を復活させてはなりません。


もっともっとプラスのつながりに向かって、互いに助け合えるよう望みます。それがかなえば、コロナウイルスに感謝さえするでしょう。コロナウイルスがもっとよい世界へ私たちを後押ししてくれているのがわかるからです。


プラスにつながった人類へと向かうこの運命的な移行を実現させるために、私たちに勇気と力を与えてください。


「すべては愛のもとにある」ーー『ゾハールの書』ヴァエトハナン(VaEtchanan:私は嘆願する)よりーー



Last Updated (Monday, 10 August 2020 16:46)